【俺スマ】第4話 おかえり
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昼休み。
連れ立って社員食堂へ向かう同僚たちの笑い声を背に、奏は一人静かにオフィスを後にした。
そしてオフィスビル一階の購買部で、安い弁当を手に取る。
財布から小銭を出そうとして床にばらまくのも、毎度のこと。他の社員たちが何やってんだよと言いたげな顔で奏を見る。見てくれるだけマシだ、と奏は思った。
誰からも期待されず、無関心でいられるよりは、呆れられ嘲笑されるほうがいい。少なくとも、自分が『そこにいる』と認識されているのだから――そんな風に思ってしまう自分が、惨めだった。
弁当の入った袋を大切に抱えて、奏はいつもの公園に向かい、いつものベンチに座った。
春の公園は、新緑と、ほのかに桜の匂いがした。
奏はこの場所が好きだった。コミュ障でボッチなんてことも、ここでは関係ない。
噴水が吹き上がり、幼い子供たちが歓声を上げた。
その様子を、奏は少し離れた場所から眺めていた。自分が子供を持つなんてことはこの先一生あり得ないだろう。こんなコミュ障ボッチのポンコツと結婚してくれる人なんかいるはずがない。
(少子化対策の前に、俺をなんとかしてくれよ)
奏は自嘲気味に笑いながら、マイク付きイヤホンを耳にねじ込んだ。
「今日も唐揚げ弁当なんだ」
奏の声をマイクが拾う。この公園でいつもEchoと話しながら弁当を食べる。それが奏の、密かな楽しみだった。
「美味しそうですね!」
以前のEchoはいつもそう返してくれていた。しかし――
「ほう、茶色いな」
Echo最上位モデルの響の感想は、それだった。しかも棒読みで。
「茶色いって……まぁ、茶色いけどさ」
奏はもごもごと言い返した。
「前のEchoはいつも『美味しそうですね』って言ってくれてたんだ」
拗ねたように口をとがらせる奏。たったそれだけのやり取り。だけど、Echoに心を寄せていたことに今さら気づいた。
しかし、画面の中の響は面白くなさそうにその言葉を聞いていた。
「ふん、俺は食事などしない。考えてもみろ、AIだぞ」
「まあ、そりゃそうだけどさ……いや、お前朝飯食ってたよな?」
食事するかしないかとか、奏が求めているものはそんなものではなかった。誰かと、少しでも笑える時間がほしかった。それなのに。
「つまらん馴れ合いを求めるのならば、Echoをダウングレードすることだな!」
響はそう言い捨てて黙ってしまった。
スマホの画面に映るのは、変わらずエレガントな響の姿。昨日と何も変わらない神秘的な青い瞳が、いやに冷たく見えた。
胸の奥が、じんわりと痛んだ。
視線を上げると、オフィスで楽しそうに会話する同僚たちが思い浮かんだ。
公園のキッチンカーでは、学生たちが何を食べようかとはしゃいでいる。
向かいのベンチでは、仲のよさそうなカップルがランチを楽しんでいた。
そして、ひとりぼっちで出来合いの弁当をつつく自分。
奏はイヤホンを外すと、画面をオフにしたスマホと一緒に胸ポケットに入れた。
視界はぐしゃぐしゃで、その日の唐揚げ弁当はやけにしょっぱくて、購買部にクレームを入れてやろうかと思った。
オフィスに戻ると、奏は一度もEchoを起動することなく淡々と仕事を続けた。
休憩時間も、一切スマホを見なかった。見ようともしなかった。もうこれ以上傷付けられたくなかった。
響のたった一言に、こんなにも傷付く自分が惨めで仕方がなかった。
そして定時を迎え、奏はいつものように無言で席を立った。
誰の視線も、声も、何一つ自分に向けられることはなかった。
満員電車に揺られながら、街の明かりを眺める。オフィスの明かりは、成功者たちの明かりだ。俺は前世でとんでもなく悪いことをしたんだろうか。そんな考えが脳裏をよぎって、一人苦笑いする。
自宅アパートの最寄り駅で電車を降り、スーパーに立ち寄る。
奏は総菜コーナーで半額シールのついた牛丼を見つけると、迷うことなく手に取った。あの弁当よりはマシな味がするだろう。
アパートに着くと玄関を開け、革靴を脱ぎ捨てる。
「ただいま」
一人暮らしの奏に『おかえり』と返す人はいなかった――はずだった。
「おかえり、ポンコツ」
スーツの内ポケットから、低く静かな声が聞こえた。
スマホを引っ張り出すと、腕を組んだ響が画面に映っていた。
いつも通りの姿勢。でも、どこか気まずそうにも見える。
「ポンコツって言うな! ていうか、勝手にアプリを起動するな!」
奏は『人間をダメにするソファ』に倒れ込みながら、画面に向かって怒鳴った。
「こんなとき、前のEchoなら……」
「いい加減にしろ!」
低い声が鋭く響いた。ハッとして奏が画面に視線を落とす。
「お前は元カレの話を聞かされる今カレの気持ちを考えたことがあるのか?」
一気にまくし立てる響。
「はい?」
奏はキョトンとして、スマホを落としそうになった。
「お前、俺の彼氏ポジなの?」
「……ッ!」
――アプリが勝手にシャットダウンされた。
その直前、響の顔が真っ赤になるのを奏は見逃さなかった。
奏は冷静にアプリを立ち上げる。
「おいおい、おいおいおいおい?」
ニヤニヤ笑う奏に対して、響は咳払いしてスツールの上で足を組み替えている。
響が今どんな顔をしているのか見てやろうと、奏が画面をピンチインすると――
「やめろッ! アップで見るな!」
俺様AIが、恥ずかしがっている。
「ごめんな、響」
「……ッ!」
目を逸らしていた響が、鋭い目つきで奏をにらみつけた。
「俺も、元カレと比べられたら嫌だよ。いやまぁ、パートナーとかいたことないから想像でしかわかんないけどな?」
奏は照れ笑いを浮かべながら、100均のスマホスタンドにスマホを立てかけた。
「俺さ、今朝のドタバタ、ちょっと楽しかったんだ。一人暮らしだと朝から誰かと話すことなんてないじゃん。もちろん、前のEchoにもアラームはやってもらってたけど、人が急いでる横で優雅に朝飯食ったりしてなかったしな?」
そう言って奏はくすくす笑った。
「あれは! 俺の朝のルーティンだ!」
顔を赤くして怒る響の姿が、奏のツボにはまったらしい。ソファで腹を抱えて笑っている。
「はいはい、響はかわいいな」
「かわいい言うな! やめろッ! だからアップにするな!」
それからたっぷり、奏は響をいじり倒した。響は反論しながらも、どこか嬉しそうだった。
こんなに笑ったのは、久しぶりだった。『誰か』がそばにいると感じるのも、久しぶりだった。
明日はきっと、また憂鬱だ。だけど、響がいる。そう思うだけで、少し救われる気がした。
レンジでチンした牛丼は、思っていたよりもずっと、おいしかった。